7年にわたるシリアでの紛争に心を痛めています。私は学生時代、明治学院大学国際学部のゼミナールの校外学習で、シリアの東グータにある村に行き、ホームステイをしました。その村は緑が豊かなところで、親切な人たちが住んでいました。
東グータに住み、平和を望んでいる一村民の様子をお伝えしたいと思います。
まずは私がホームステイをした2008年、戦前の様子をご紹介します。
緑が多く、オリーブ、あんず、ズッキーニなど、たくさんの種類の植物が植わっているのどかな農村でした。住民はイスラム教徒で、村の中にはいくつかのモスクがありました。まだ日の昇らない早朝、モスクから大音量の呼びかけが聞こえてきます。それを聞いて人々は起き上がり、お祈りをします。イスラム教の戒律によりお酒が飲めない人が、飲み会ではなく道端でお茶会をしている姿も度々見かけました。
私がホームステイした先のアラブ人一家は、その日出会った見ず知らずの私を快く泊めてくれました。その村では、だいたいどの家庭も、このような大きなお盆に載ったおかずや大きなパンをみんなでちぎってシェアしながら食べるようです。アラビア語が話せない私に彼らは、身振り手振りで懸命に話しかけてくれました。生活の一部をお見せします。女性は食事の支度や洗濯などの家事をし、男性は家畜の世話や畑仕事などをしています。一家と打ち解けてきたころ、私は彼らに、自分がクリスチャンであることを話しました。驚いた様子でしたが、その後も変わらず仲良くしてくれました。村を出る前日、一緒に、おり紙をおりました。一家の主は舟をおってこう言いました。「これは平和の舟だよ。日本まで平和で無事に帰れるようにね。」そして舟に平和と書き、私にプレゼントしてくれました。親切で、平和を願う温かい人たちだと感じました。
けれども2011年、紛争が始まりました。報道を聞いて心配になり、時折電話で連絡をとり、安否を確認しました。「無事ですか。」ときくと、いつも決まって「家族は無事だよ。村もみんな無事です。」と返事が返ってきていました。
2017年に入ってから、実際の状況を伝えてくれるようになりました。
2018年1月20日のメッセージはこうでした。「息の詰まるような包囲の中にいます。水も電気もなく、激しい貧困状態にあります。」
1月25日には、「助けてくれませんか。」とメールがきました。
3月5日のメールにはこう書かれていました。
「二カ月前からグータは、テロリストたちがいるという口実のもと、空爆を受けています。しかし、この話は真実ではありません。私たちは非武装の国民であり平和を望んでいます。政府とロシアはグータはテロリストがいる場所だと言っていますが、ここにテロはありません。2500人以上の人が殺され、負傷者も障害を負った者もいます。殺されたのは全て、女性や子どもと民間人です。現在の瞬間も、ミサイルや樽爆弾による空爆、あらゆる種類の武器によって破壊され、国際的に禁じられている毒ガスも使われています。40万人以上の人が包囲され、飢餓や水、通信、電気、治療不足の状況に追い詰められています。日本政府には、民間人が受けている封鎖や飢え、樽爆弾による空爆がもたらす苦しみから救ってくれるように最大限尽くすことを願っています。また、日本国民には、東グータの人たちとともに立ち上がるために国連安全保障理事会に書簡を出してほしいと願っています。グータを救ってください。」
3月7日のメールにはこう書かれていました,
「東グータ内の安全なところに逃げました。地下の避難所にいます。ここには、土地も工場も、学校も、完全に破壊されてありません。友よ、私は今、全能の神が私をこの空爆の苦しみから救ってくれるのを待っているのです。この瞬間にも、飛行機が爆撃している。私の友人を、何かを。私の故郷は全部破壊されてしまった。私ちちは動物さえも生きていない生活を生きているのです。ここでは飢え、恐れ、住宅の破壊が起きています。」
紛争が始まって数年後、その村人の家族は村を出ましたが彼は村に残ったようです。過酷な状況になってもなお残り続けた大事な故郷であるその家を離れなければならないほど、その村は危険な状態になってしまったことがわかりました。避難先もその村と比較すれば安全だとはいっても、東グータ内であり、飢え、恐れ、空爆による破壊が起きていて、動物さえも生きていけない生活を生きているというのは、極限状態にあることがわかります。
3月13日のメールには、こうありました。
「安全なところに住んでいるとはいっても、私たちは何もすることができません。残念ながらどんな支援物資もありません。連続する空爆が原因で、ここには何も届いていないからです。私たちは、私たちの家から持ってきた食料で暮らしています。でもこれは数日分しかありません。」
13日のこのメールを最後に、連絡が取れなくなってしまいました。すでに極度の貧困下にあった村からもってきた数日分の食料は、今日にはもう尽きてしまったのではないかと思います。ずっと平和を願ってきた無防備な村人が、このような苦しみの中にあるというのが現状です。
最後のメールの末尾に書かれていたメッセージを紹介して、この発表を閉じたいと思います。
「私はあなたが多くの人たちに、この言葉を伝えてくれることを願っています。そして、全てが真実であると皆さんに伝えてください。あなたが私たちとともに協力してくれることに感謝します。私はあなたに感謝します。あなたは東グータの家族の声や叫びを届けてくれる人だからです。」
聞いていただいた皆さんには、世論として、東グータの人々の安全を確保するための働きかけをする力になっていただければと思います。東グータの村民に代わり、お願いします。皆さんが私たちとともに協力してくれることに感謝します。
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